• ENTRYENTRY
  • MENUMENU

仕事を知る

ドライゼロ ドライゼロ
アサヒ ドライゼロ
日本の市場に、朝日が昇った日。
ドライゼロ

ノンアルコールビールを変えたノンアルコールビール

2012年2月、「アサヒ ドライゼロ」が市場に登場した。発売からわずか2ヵ月後には累計販売100万箱を達成。同市場は前年比150%に拡大し、文字どおり新しい価値を創造する結果となった。その成功の秘密は「美味しさ」という原点に立ち返ることにあった。カロリーオフなどの機能商品が脚光をあびるなか、プロジェクトチームは「うまいものをつくりたい」という強い想いでつながっていた。
研究チームを立ち上げ、本社を巻き込み、日本の市場を席捲する。そんな偉業を成し遂げた商品の誕生秘話に迫る。

「良い商品なのに、なぜ勝てないのか」
酒類開発研究所の伊藤は頭を悩ませていた。アサヒビールは「ポイントゼロ」「ダブルゼロ」とノンアルコールビールを次々に発売するものの、他社商品の後塵を拝していたのだ。
突破口が必要になる。社内の誰もがそう感じていた。「伊藤、新しいプロジェクトに参加しないか」と声をかけたのは当時の所長。本社からの開発依頼を受け、研究所に部門横断のプロジェクトが立ち上がったのだ。伊藤はふたつ返事で引き受ける。
すぐに香味成分を解析するメンバーやお客さまの嗜好を調査するメンバーとともに分析を開始した。
ドライゼロ

伊藤慎介 研究生産本部 醸造研究所 醸造技術部 副課長

ドライゼロ開発当時はマーケティング本部 酒類開発研究所 総合酒類開発部に所属していた。

「今、お客さまはノンアルコールビールそのものに満足していない」
調査の結果、多くのお客さまが「ビールテイストを味わいたいのに、どの商品も期待外れだった」と不満を抱えていることが分かった。「低カロリー等の機能性よりも、より“ビールに近い味”が求められているということが改めて見えてきたんです」と語る伊藤。しかし、それは誰もが成し遂げていない前人未踏の領域でもあった。ノンアルコールビールは、製造工程上、麦汁由来の甘味や雑味等が出てしまう。技術的なハードルが高いため、味よりも機能付加に時間を費やす傾向にあったのだ。そこで、伊藤は発想を大きく転換する。
ドライゼロ

今泉暢智 吹田工場 副工場長 醸造部長

工場の責任者として生産工程の全体に携わった。

ドライゼロ
「ビールのつくり方にこだわるから味が遠ざかるのではないか」
数々のトライ&エラーのなかで伊藤は、方法論ではなく最終的な仕上がりにこだわるべきだと考えた。「それまでビールの開発メンバーが主流だったこともあり、つくり方や原料も同じ考え方で探っていたんです。このままじゃいけないと思いました」と、当時を振り返る。
「最終製品であるビールの味や香りの成分を徹底的に解析し、飲みごたえと香りを再現することができれば、ビールの原料や製法にこだわる必要はない」。しかし、その道のりは簡単ではなかった。通常なら100回で済む試作を、10,000回以上も続けた。何度も何度も試飲会を開いた。そしてついに、伊藤は納得できる味わいにたどり着く。そこに“麦芽”の文字はなかった。社内では少なからず反発があった。“ビール”という既成概念が判断をにぶらせていたのだ。「とにかく、調査結果をしっかりと提出して、原料や製法ではなく味が一番大事なんですと力説しました。試作品を飲んでもらって『これは確かに従来のものとは違う』と実感していただけたことも後押しになりました」。 そのとき、風が大きく変わった。伊藤の意地が本社を動かす。全社が一丸となって「ドライゼロ」の製造に向けて舵を切ることになる。
ドライゼロ
「失敗は絶対にできないと思いました」
吹田の副工場長を務める今泉は、本部からの生産依頼を受けて最初にそう思ったと言う。「会社としての期待感が大きかったこともありますが、ドライゼロに関わるスタッフの本気度合いには目を見張るものがありました。これは、伊藤さんが目指す味を実現しなきゃいかんと思いましたね」。工場ともなると研究所内での試作とはわけが違い、1,000倍の量をつくることになる。また、ビール製造用に作られていた設備もドライゼロ用に短期間で改良した。「通常なら1年ほどかかる特殊な工事を、数ヵ月で仕上げてもらいました」と語る今泉は、伊藤の熱意に押されたと笑顔で言う。
「もう工事が間に合わないという時期になっても、伊藤さんは『明日はもっと美味しいものができるかもしれない』と言い続けていましたね。なかなか材料比率が確定しなかったので、こちらも困りました。ただ、『美味しい商品をつくろう』という想いで全スタッフが強くつながっていました」。そして、妥協なきノンアルコールビールが産声をあげる。
ドライゼロ
「世界中をわかせる、ノンアルコールビールに育てたい」
工場が運転を始めて、生産が開始された。市場の反応は期待通りのものだった。途切れることのない注文に全社がわいた。予想をはるかに上回るボリュームだった。「設備的に日本で唯一吹田工場だけが生産可能でしたし、それこそみんな土日を返上して全力で仕事をしていました。全員が一丸となってつくった商品。それを切らしちゃいかんと思っていました」。

そこにあったのは、アサヒビールと、開発に関わった社員の想いを背負うプライド。
しかし、今泉も伊藤も安堵の顔は見せない。ドライゼロがブランドとして確立したとしても肩の荷をおろすことはない。
伊藤は「正直、開発者としてはまだまだ美味しくできると信じています。職業意識のようなところもありますが、これからもっともっと可能性を追求していきたい。そしてやがては、世界に通用するようなブランドにしていきたいと思っています」と気持ちを新たにする。

発売日当日。ふたりはコンビニやスーパーへと出かけた。そこには山積みになったドライゼロが並んでいる。手に取るお客さま。その姿を見て、思わず「ありがとうございます」という言葉が口をついて出た。心のなかで深々とお辞儀をしていた。縮小する市場に、朝日が昇った瞬間だった。

※所属部署は取材当時のものになります。
※写真中の商品ラベルは取材当時のものになります。
お酒にまつわる情報については、20歳未満の方への共有(シェア)はご遠慮ください。

すべては、お客様の「うまい」のために

ストップ!20歳未満飲酒・飲酒運転。
妊娠中や授乳期の飲酒は、胎児・乳児の発育に悪影響を与えるおそれがあります。
ほどよく、楽しく、いいお酒。のんだあとはリサイクル。