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大阪府

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堺の蔵元に生まれた鳥井駒吉は、36歳で当時大変難しいとされていた
「本格的国産ビールの製造」に挑戦。現在のアサヒビールの礎を築きました。
堺で紡がれた、彼の生涯の物語をお届けします。

大阪麦酒時代の宣伝広告(後編)

第4回内国勧業博覧会に出展した大阪麦酒の売店

●第4回内国勧業博覧会に出展した大阪麦酒の売店

第4回内国勧業博、シカゴ世界博、パリ万国博<br>での受賞を宣伝した新聞広告

●第4回内国勧業博、シカゴ世界博、パリ万国博
での受賞を宣伝した新聞広告
(「東京日日新聞」明治34年10月4日付)

宣伝広告の重要性を知る駒吉は、また宣伝広告の実証性に重きを置く人でもあった。大阪麦酒創業10年前の明治12年、堺酒造組合長となった駒吉は機械力による精米会社を興し、酒造改良試験所を開き、共同醸造所を設けるなど、堺の清酒の技術革新に努めながら、明治21年の西班牙(スペイン)万国大博覧会(バルセロナ)には、瓶詰めの「春駒」を出品し見事銀賞牌を受賞する。これは輸入洋酒に押される一方の日本酒を、逆に海外に輸出しようとするものであると同時に、博覧会での受賞という事実で堺の清酒の優良さを実証し、国内における宣伝効果を一層高めようというものであった。

この西班牙万博の経験を買われて、その後駒吉はシカゴ、パリの世界博覧会や国内の勧業博覧会、品評会などに各種の委員として積極的に関わっていく。明治25年5月に初出荷したアサヒビールも、早速翌26年のシカゴ博に出品、見事最優等賞を受賞しているが、この受賞の事実は、その後の京都勧業博やパリ万博での実績も加えながら、様々な形で宣伝広告に活用され、新登場のアサヒビールの名声を大いに高めた。

また明治28年京都での第四回内国勧業博覧会では会場内にアサヒビール販売所を設け、当時鉄道で1時間半という至近距離の吹田から運んだ生ビールを提供した。アサヒビールのうまさを知っていただくのは飲んでいただくのが一番、というわけだが、これこそ実証性の最たるもの。その精神は現在も全国の工場で毎日行われている工場見学での、出来立てのスーパードライの試飲につながっている。

なお、この会場内ビール販売所は、博覧会終了後大阪の中之島に機材一式が移され、「ゼルマン風流ビール会」の名で、宣伝を主目的とするビヤホールとして数日間営業された。翌29年には「アサヒビール会」の看板で、真夏の1ヶ月ほどの本営業となり、浪花っ子に好評を博した。

翌30年には、前年11月に確保した大江橋南詰めの敷地に、初の常設ビヤホール「アサヒ軒」の第1号店が開設された。そして32年には店内に暖炉が入り、「アサヒビール会」は夏場の季節イベントから通年営業の本格的ビヤホールへと発展していくのである。

明治30年7月20日、大阪中之島大江橋南詰に開店した「アサヒ軒」第1号店

●明治30年7月20日、大阪中之島大江橋南詰に開店した「アサヒ軒」第1号店

前編
ゼルマン風流ビール会広告

●ゼルマン風流ビール会広告
(「大阪朝日新聞」明治28年9月3日付)

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