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堺の蔵元に生まれた鳥井駒吉は、36歳で当時大変難しいとされていた
「本格的国産ビールの製造」に挑戦。現在のアサヒビールの礎を築きました。
堺で紡がれた、彼の生涯の物語をお届けします。

大阪麦酒時代の宣伝広告(前編)

明治25年5月17日付の「大阪朝日新聞」掲載の全頁広告

●明治25年5月17日付の
  「大阪朝日新聞」掲載の全頁広告

ビール会社の宣伝広告は、昔から格好の酒の肴として酒席や食卓を賑わしてきたが、大阪麦酒時代のアサヒビールの宣伝広告も、目新しい手法や規模の大きさで明治の人々の話題を集めた。明治25年5月、待望のアサヒビール発売を世間に告知したのは「大阪毎日新聞」「大阪朝日新聞」に相次いで掲載された紙面いっぱいの大広告だった。当時すでに輸入ビールや群小の国産ビールによる新聞広告は目新しいものではなかったが、さすがに1頁全面を使った発売広告は人々を驚かせた。輪転機の普及とともに、この頃から新聞が情報媒体の中心になっていくが、それに合わせてアサヒビールの宣伝広告も新聞広告を多用するようになっていく。

一方で伝統的な引き札(ちらし)や絵看板(ポスター)などの店頭広告も、身近な広告として盛んに行われた。その図柄の多くを手がけたのは堺在住の画家中井芳(よし)瀧(たき)である。芳瀧は大阪に生まれ、江戸の歌川国芳の流れをくむ浮世絵師として幕末から明治初期の大阪で活躍した後、明治17年に堺に移り住んでからは、駒吉たちの支持を得て一段と活発な創作活動を行った。アサヒビールの“波に朝日”のラベルデザインの原型も芳瀧の作品である。

また販売所や特約店の新設、開店披露などの重要イベントの時には、笛や太鼓の楽隊入りの広告隊が繰り出した。楽隊広告、いわゆるジンタ広告である。巨大なアサヒビールのびん形や「宮内省御用達」の大のぼり、朝日を大きく染め抜いた旗を押し立てて、楽隊を先頭に礼装の会社幹部やはっぴ姿の社員たちが、口上を述べチラシを配りながら繁華街を練り歩くのである。

中井芳瀧作の岩戸開きのポスター

●中井芳瀧作の岩戸開きのポスター(明治25年ごろ)

大阪麦酒がこのように宣伝広告に積極的だったのには、「常に新しいことに挑戦する」という社長鳥井駒吉の姿勢があったはずだ。駒吉の思い出を綴る身内の一文に「京都四条大橋のところに春駒の看板をあげられました時には、販売店の人々は申に及ばず、社員や出入方芸妓衆もまじへて、紅白のたづな染のきものに水色と白のたづな染の襦袢といふはでな服装で、都大路や堺市中を踊り歩いて春駒を宣伝されました。」とあり、家業の清酒“春駒”が京都に進出する際の派手な宣伝の様子が記されている。まさに自由都市堺が生んだ革新的企業家鳥井駒吉の面目躍如というべきか。(次号へ続く)

>> 当時「春駒」の看板があげられた「京都四条大橋」の場所を見る(Google MAP へ)

倉庫前に集結した会社幹部と広告隊

●倉庫前に集結した会社幹部と広告隊

鳥井本店醸造「春駒」のちらし

●鳥井本店醸造「春駒」のちらし。アサヒビールも一緒に広告。

後編

すべては、お客様の「うまい」のために

ストップ!20歳未満飲酒・飲酒運転。
妊娠中や授乳期の飲酒は、胎児・乳児の発育に悪影響を与えるおそれがあります。
ほどよく、楽しく、いいお酒。のんだあとはリサイクル。