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堺の蔵元に生まれた鳥井駒吉は、36歳で当時大変難しいとされていた
「本格的国産ビールの製造」に挑戦。現在のアサヒビールの礎を築きました。
堺で紡がれた、彼の生涯の物語をお届けします。

大阪麦酒初代社長・鳥井駒吉の生涯(前編)

鳥井駒吉

●鳥井駒吉

アサヒビール株式会社のルーツ、有限責任大阪麦酒会社の初代社長 鳥井駒吉は、1853年3月12日、和泉国堺宿院町で米穀商を営む和泉屋伊助の二男として生まれた。父の伊助は養子であったが、1861年に分家して堺市甲斐町に移り酒造業を始め、商標は駒吉の名にちなみ「春駒」とした。駒吉には男4人・女3人の兄弟姉妹がいたが、長男は早世していたので、駒吉が一家を背負い、家業を繁栄させていかなければならない立場にあった。

父の死により、1870年に鳥井駒吉は17歳で家業を受け継ぐ。このころ、父が存命中に始めた北海道(函館)の回漕業が破綻し、鳥井はその後始末に追われたが、若い当主を危ぶむ声をよそに、みごとに本業の酒造業を盤石のものとしている。北海道の事業は、堺の綿商・回船問屋河盛仁平(1834〜1885年)の成功にヒントを得たと思われるが、鳥井は河盛から公私にわたり薫陶を受けていた。河盛とは、鳥井の弟がその娘を娶るといった姻戚関係もあり、河盛の堅実な事業運営の方針と利益を社会に還元する考え方は、鳥井の事業に対する考え方や人となりに大きな影響を与えたとされている。

創業当時の鳥井本店

●創業当時の鳥井本店

最初の国産ビールのチラシ

●最初の国産ビールのチラシ

堺は、灘や西宮・伊丹などとともに、江戸時代に摂泉十二郷と呼ばれた清酒の名産地である。この伝統ある堺酒造業のなかで、鳥井駒吉は頭角を現していく。1879年に26歳で堺酒造組合の初代組長に就任すると、1883年6月に精米会社、1886年9月に酒造改良試験所、1887年5月には共同醸造所を設立した。いずれも醸造技術の改良や生産の合理化を目的とする革新的な取り組みであり、1888年にはバルセロナ万国博覧会に初めて瓶詰めの清酒を出品して輸出の途を開いたのであった。そして鳥井が本格的国産ビールづくりを目指し、大阪麦酒会社を立ち上げたのもこのころのことである。

>> 当時「鳥井本店」のあった場所を見る (Google MAP へ)

後編

すべては、お客様の「うまい」のために

飲酒は20歳になってから。飲酒運転は法律で禁止されています。
妊娠中や授乳期の飲酒は、胎児・乳児の発育に悪影響を与えるおそれがあります。
ほどよく、楽しく、いいお酒。のんだあとはリサイクル。