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第10回 「富岡製糸場と絹産業遺産群」企画第一弾

好きになってぐんま!群馬県内の市町村、団体の取組みや歴史をご紹介!

世界遺産へ推薦決定!

群馬県内の市町村、団体の取組みや歴史をご紹介している「好きになってぐんま!」
第10回の今回は、貴重な歴史・文化遺産である富岡製糸場と絹産業遺産群についてご紹介します!
2012年8月23日。政府は外務省で関係省庁連絡会議を開き、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に、
「富岡製糸場と絹産業遺産群」を推薦することを正式に決定しました。

富岡製糸場、世界遺産への第一歩!

東繭倉庫正面

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は富岡製糸場(富岡市)、田島弥平旧宅(伊勢崎市)、高山社跡(藤岡市)、荒船風穴(下仁田町)の4資産で構成されます。これら4つの資産は、高品質な生糸の大量生産を実現し、世界の絹産業の発展や絹の大衆化に大きく貢献しました。その中心となったのが富岡製糸場です。
1987年、片倉工業は官営期から通算115年間にわたる生糸生産を続けて来た富岡製糸場の作業を停止しましたが、歴史ある富岡製糸場は今後とも「売らない・壊さない・貸さない」という原則のもとに保守整備を継続しました。このような中で製糸場の歴史的価値を探ろうと来訪者も増加してきたため、1996年、富岡市では解説員を養成し解説事業を開始しました。
2003年8月には、県が富岡製糸場を世界遺産に推進するプロジェクトを表明しました。これを受けて翌2004年8月にボランティア団体である「富岡製糸場世界遺産伝道師協会」が発足され、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の価値を多くの人に伝えるため、今日に至るまで伝道活動を行ってきました。
そして、2012年8月、「富岡製糸場と絹産業遺産群」が国の代表として世界遺産に推薦されることが決まりました。県民を巻き込んで展開してきた登録運動にこの喜ばしいニュースは、大きな前進であると言えるのではないでしょうか。
今後の予定はユネスコより、暫定版推薦書(2012年9月に提出)の書類形式審査を受け、正式な推薦書を来年1月に提出する予定です。
その後ユネスコの諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)が来年夏ごろに4資産を現地調査し、2014年5月ごろ、世界遺産リストに登録するかどうかをユネスコに勧告。同年の7月ごろに世界遺産登録の可否が決まります。登録されれば日本で初めての"近代産業遺産"に!!本登録まではまだまだ長い道のりではあります。また、今後ますます県民との協力も必要となってくるでしょう。
今回は、そんな世界遺産本登録を目指して盛り上がる「富岡製糸場」をピックアップします。

富岡製糸場とは?

富岡製糸場はなぜ建てられたの?

徳川幕府は寛永年間以降固く守ってきた鎖国令の一部を解除して安政6(1859)年、横浜・長崎・箱(函)館の三港を開くことにしました。一方、新しい市場を求めた当時のヨーロッパ諸国は、東アジアへの進出を図っていました。また、フランスやイタリアなどの養蚕の盛んな国々で蚕の病気(微粒子病)が猛烈な勢いで蔓延し、繭の生産が壊滅的な打撃を受けていました。この影響で、開国直後から蚕糸類(生糸と蚕種)は、輸出品の1位を占めたのです。
しかし、不当な利益を得ようと粗悪品やにせ物を輸出する人が増え、いつしか諸外国からの不評を買うようにまでなってしまいました。これを受けて政府は、明治3年の2月、@洋式の器械製糸を導入する。A指導者は外国人とする。B工女を全国から募り、技術を習得させて帰郷後は器械製糸の指導者とする。などを企図して器械製糸工場を築くことにしたのです。
こうして明治5(1872)年、模範器械製糸場が日本で初めて富岡に設置されました。

錦絵「上州富岡製糸場」(明治5年)

富岡製糸場

冨岡が選ばれた理由

明治3年、明治政府に雇われた横浜のフランス商館勤務のポール・ブリュナ(Paul Brunat)らが工場を設立するため適地を捜しました。養蚕の盛んな武蔵・上野・信濃の三国を視察し、上野(現在の群馬県)の富岡に場所を決定しました。 富岡に決定した理由として次のようなことがあげられています。

建物はどうなっているの?

富岡製糸場は、殖産興業推進のために国が建てた大規模な建造物群がほぼ当初のまま現存しています。繰糸場は長さ約140.4メートル、幅12.3メートル、高さ12.1メートルで、当時、世界的に見ても最大規模なものでした。
主要な建物は、木の骨組みに、壁にレンガを積みいれて造る「木骨レンガ造」で建てられています。レンガという西洋の新しい材料を取り入れながら、屋根は伝統的な日本瓦でふくなど、日本と西洋の建築技術を見事に融合して建てられました。
また、トラス工法という洋式の小屋組みを採用したことにより、中間の柱のない大きな空間を確保することができました。
建築資材は群馬県内で調達されました。
レンガは、フランス積みと呼ばれる工法を用い、この工法が建物に流麗さをもたらしています。

フランス積みのレンガ

トラス工法でできた骨組み

工女さんはどんな生活をしていたの?

製糸場で働く工女たちはどのような生活をしていたのでしょうか。
フランス人が指導したために1日の勤務時間や勤務条件等は、当時の日本では最も進んだヨーロッパ方式を取り入れていました。七曜制の採用が明治9年3月12日の太政
官布告であったことから、製糸場が先行していたことがうかがえます。
工女の給料は年功序列ではなく当初から能率給をとりいれ、年齢に関係なく製糸技術が優れていれば一等工女になれるというシステムでした。
かなり進んだ業務形態ですね。

工女の生活について おすすめの文献「富岡日記」

さて富岡製糸場の売店には面白いお土産が売られています。その名も「富岡製糸場工女さんも愛したカレー」。
工女の一人であった和田英は『富岡日記』の中で食事について
「略・・・生な魚は見たくてもありません。塩物と干物ばかり、牛肉などもありますが、赤いんげんの煮たのだとか切り昆布とあげこんにゃくと八ツ頭などです。・・・朝食は汁に漬け物、昼は煮物、夕は干物・・・。」
と書いています。当初は、メニューにカレーはありませんでしたが、もしかしたらのちに工女たちも食べていたかもしれませんね。またこのカレー、製糸場近辺の「高田食堂」で実際に食べることもできます。工女たちが通っていたとされるこの食堂。製糸場にお越しの際はぜひ立ち寄ってみてください。

現在の様子

ライトアップやコンサートなどイベントも随時開催!
座繰り実演・体験は毎週土曜・日曜日に、フランス式繰糸器実演は毎週水曜日にそれぞれ2回ずつ開催。めったに見られない実演をぜひご覧ください。

 富岡市富岡1−1
 0274−64−0005
 9時〜17時(最終受付16時30分)
 12月29日〜31日、点検休館あり
   ※平成25年1月〜3月 月曜日休場
 なし(市営有料駐車場利用)
 大人500円、高大生250円、小・中学生150円
※価格は2011年11月25日取材時点のものです。

ライトアップされた富岡製糸場

解説ボランティアの開始時刻

文化遺産としての価値

西繭倉庫

繰糸場内部

製糸場の歴史的、文化財的価値には次のようなものがあげられています。

このように多くの価値が富岡製糸場にはあるのです。
また、良好な状態で現存している理由については

などが考えられます。
歴史的、文化的双方から見ても価値の高い富岡製糸場。多くの方にこの価値を広めるためにもぜひ世界遺産へ登録されて欲しいですね。

富岡製糸場と合わせて他の3つの構成資産にも行ってみよう


瓦屋根に換気設備を取り付けた近代養蚕農家の原型です。


自然の冷気を利用した日本最大規模の蚕種(蚕の卵)貯蔵施設です。


日本の近代養蚕法の標準「清温育」を開発した場所です。

富岡製糸場の周辺・街中の様子

富岡製糸場周辺には魅力的なお店がたくさん。
ここでいくつか紹介します。

工女さん達も愛したカレーライスが食べられるお店

高田食堂

 11:30〜14:00・17:00〜19:00
 水曜日、第3木曜日
 0274‐62‐0469

富岡製糸場工女さんも愛したカレー

シルクタンパク液入り シフォンケーキが食べられるお店

カフェ ドローム

 9:30〜17:00
 年末年始
 0274‐67‐1123

富岡製糸場トリビアコーナー

知る知るシルキーちゃん vol.1

ここでは、みなさんが実際に行ってみないとわからない製糸場情報を紹介します。あなたも製糸場うんちく王に!
また、この情報をみてもう一度製糸場に足を運んでみたら新しい発見があるかもしれません。

富岡製糸場の繰糸場内の入口右側上部にドアがあります。「あんな高い所になぜドアが?」答えは、当時、繭が保管してあった東繭倉庫と繰糸場をつなぎ、繭を運び入れる為に使われていた渡り廊下のなごりなのです。 一見不思議なこのドアですが、繰糸場の大事な役割を担っていたんですね。製糸場を訪れた際はみなさんもぜひ探してみてはいかがでしょうか。

Vol.2のテーマもお楽しみに!!

この扉が繰糸場の入口です。

すべては、お客様の「うまい」のために

ストップ!20歳未満飲酒・飲酒運転。
妊娠中や授乳期の飲酒は、胎児・乳児の発育に悪影響を与えるおそれがあります。
ほどよく、楽しく、いいお酒。のんだあとはリサイクル。