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平成16年5月28日

ニッカウヰスキー創業70周年記念プログラム
〜OZ MEETS JAZZ SPECIAL〜
小曽根(おぞね)(まこと) PIANO LIVE』開催のお知らせ
アサヒビール株式会社

 アサヒビール株式会社(本社 東京、社長 池田弘一)は、株式会社ジェイウェイブ(本社 東京、社長 三好正也 )が運営するFMラジオ放送“J-WAVE”主催のコンサート『小曽根(おぞね)(まこと) PIANO LIVE』に特別協賛します。
 このコンサートは、6月18日(金)にアサヒビール本部ビル(東京都墨田区吾妻橋1−23−1)の1階ロビーホールにて開催し、抽選で25組50名様を無料でご招待します。

 アサヒビール(株)は、グループ会社であるニッカウヰスキー株式会社(本社 東京、社長 宇野 正紘)が創業70周年を迎える本年、新たな時代へ向けたお客様との関係づくりの強化を目指しています。
  『小曽根(おぞね)(まこと) PIANO LIVE』は、ニッカウヰスキー(株)創業70周年記念プログラムの一環として開催します。本コンサートは、ニッカウヰスキー(株)のウイスキーづくりの品質を厳しく追及している姿勢と、独自の音楽観を極めるために妥協無き活動を続けている小曽根氏の姿勢を重ね合わせることで実現した、特別プログラムです。
 当日は、ニッカウヰスキー(株)の商品を中心とするアサヒビールグループの商品をお飲みいただける機会を設けており、ご来場いただいたお客様には、リラックスした雰囲気の中で、小曽根氏のシックで芸術的なピアノ演奏を存分にお楽しみいただけるプログラムとなっています。

 小曽根氏は、幼少の頃からジャズやクラシック音楽に通じ、世界的に実力が評価されているジャズピアニストで、J -WAVEの人気番組“ASAHI KURONAMA OZ MEETS JAZZ”の番組ナビゲーターとしても活躍しています。

 尚、このコンサートの模様の一部は、“ASAHI KURONAMA OZ MEETS JAZZ” にて後日、放送される予定となっています。

※当日は、このご案内でご招待する50名様 以外に、J-WAVEのリスナー、ニッカコム(ニッカウヰスキー公式HPサイト)の会員による応募者もご招待しています。

 コンサート概要、お申し込み方法は以下のとおりです。

 
【コンサート概要/申し込み方法】
名称

ニッカウヰスキー創業70周年記念プログラム
〜 OZ MEETS JAZZ SPECIAL 〜
小曽根(おぞね)(まこと) PIANO LIVE』

出演者

小曽根(おぞね)(まこと) :ピアノ

日時

平成16年6月18日(金)
開場 午後6時00分、開演 6時45分、終了 21時00分(予定)

会場

東京都墨田区吾妻橋1−23−1 アサヒビール本部ビル 1階ロビー

入場料

無料(事前申し込み制)

プログラム

未定

ポイント

世界的なジャズピアニスト・ソリストである小曽根氏の、軽快でシック、且つ繊細で優雅なピアノ演奏を、ゆったりとリラックスした雰囲気の中で思う存分満喫していただけます。

申込方法

住所、氏名、年齢、電話番号、本コンサート名称(アサヒビール「小曽根 真 PIANO LIVE」) を明記し、下記宛先に往復ハガキまたは E -Mailでお申し込み下さい。
6月8日(火)まで(ハガキは当日消印有効)受付し、抽選でペア25組50名様を無料でご招待します。

【宛先】
〒150−0042
東京都渋谷区宇田川町36−22ノア渋谷パート U ―601 CAN内

【 E -Mail 】
asahi-mecenat@asahi.email.ne.jp

応募資格

本キャンペーンのご応募は満20歳以上の方に限らせて頂きます。未成年の方は ご応募できません。
 
小曽根 真 (おぞね まこと)
1961年、兵庫県神戸市に生まれる。関西有数のピアニスト、ハモンドオルガニストの父、小曽根実の影響で4歳からオルガンを弾き始める。
1973年、12歳の時、オスカー・ピーターソンのコンサートで衝撃を受け、ピアニストになる決意。
1976年、15歳の時、《北野タダオとアロージャズオーケストラ》のピアニストとして、プロの活動を始める。
1981年、ボストンのバークリー音楽院へ留学。
1983年、同校のジャズ・作/編曲コースを首席で卒業。日本人として初めて米CBSと専属契約。NY/カーネギー・ホールでの《クール・ジャズ・フェスティバル》に出演、センセーショナ ルなデビューを飾る。
1984年、初リーダー・アルバム『OZONE』をリリース。プロデュースはゲイリー・バートン。
1986年、2ndアルバム『AFTER』をリリース。
1987年、『NOW YOU KNOW』をリリース。 ジョージ・ムラーツ(b)、ロイ・ヘインズ(ds)のピアノトリオ・アルバム『SPRING IS HERE』をリリース。
1989年、日本に帰国し、JVCと契約。
1990年、JVC第一弾『STARLIGHT』をリリース。同年開局のKiss -FM KOBEでレギュラー番組《オズミック・ノーツ》スタート。
1994年、ポリドール/ヴァーブ・レーベルに移籍。初のピアノ・ソロアルバム「ブレイクアウト」を発表。翌年にはピーター・アースキン、ジョン・バティトゥッチらとともに「ネイチャー・ボーイズ」を、さらにゲイリー・バートンとのデュオ・アルバム「フェイス・トゥ・フェイス」をリリース。
1996年、北川潔、クラレンス・ペンと劇的に出会い、トリオを結成。翌年 4月に発売された「ザ・トリオ」はスイングジャーナル誌のゴールドディスクに選ばれるなど絶賛を浴び、同誌主宰の「日本ジャズ大賞」を受賞。
1998年、「スリー・ウィッシズ」と、敬愛するオスカー・ピーターソンに捧げた「ディア・オスカー」を発表。「ディア・オスカー」で、「日本ジャズ大賞」を2年連続受賞。
1999年、ニューヨークに再び移住。この年発表されたアルバム「ノー・ストリングス・アタッチト」はスイングジャーナル誌読者人気投票での3冠制覇を達成。
2000年、新ベーシストとして、ジェームス・ジーナスが加入、「パンドラ」を発表したほか、ベストアルバムをリリース。
2001年、トリオだけのアルバム「ソー・メニー・カラーズ」を発表、ベストセラーとなる 。
2002年、アルバム「トレジャー」で、チック・コリア、ゲイリー・バートン、マイケル・ブレッカー、ジョン・ヘンドリックスという4人の世界的マスターたちとの競演を実現。
2003年、第 45回グラミー賞にゲイリー・バートンとのデュオ作「ヴァーチュオーシ」がノミネート。惜しくも受賞は逃したが、全世界の注目を浴びる。最近ではクラシックや舞台音楽など、ジャズの世界を越えた幅広い活動への挑戦を続けている。


J-WAVE『ASAHI KURONAMA OZ MEETS JAZZ』の番組ナビゲーターは、1999年2月より務めている。


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