
紀元前〜5世紀
●エールビールの前身は 蜂蜜酒の代用品
6世紀〜14世紀
●エールハウスとエールワイフ
15世紀〜19世紀
●ホップの普及とポーター、 スタウトの登場
20世紀
●古典的エールを守る 〜市民組織「CAMRA」〜
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イギリスでは、永年エールにグルートを使っていたため、ホップを排斥する傾向は非常に強いものがありました。15世紀になり、やっとホップの使用を許可されましたが、当時はホップを添加したものを「ビール」と呼び、グルートを使用したものを「エール」と呼んで区別していました。伝統にこだわる醸造家らが強硬に反対し、「ホップは毒物」という流言を広めたりもしました。ホップを使用したビールがイギリスに普及するのには17世紀に入ってからで、その頃になってやっと、エール醸造者の中でホップを使うものが次第に増えてきたのです。
18世紀に入ると、「ポーター」というビールが登場します。当時、よく飲まれていたエールが3種類ありましたが、それをブレンドして飲むのが人気でした。居酒屋では、注文の都度ブレンドしていましたが、店にとってはとても面倒でした。そこで1722年にロンドンの醸造家ラルフ・ハーウッドが初めからブレンドしたビールを樽に詰めて販売しました。これがポーターの誕生です。折からの産業革命の中で、安くてすぐに飲めるポーターはロンドンの下町の労働者たちにも人気がありました。「ポーター」という名前の語源としては、「ポーター」という港の荷物運び労働者の人気を博したから、または、ハーウッドがビール樽を届ける時に「ポーター!(運んできたよ!)」と大声で叫んだから、など諸説あります。いずれにせよ、18世紀から19世紀半ばの150年ほどの間、このポーターは爆発的な人気がありました。ロンドンの醸造家たちや地方の醸造所もポーターの製造販売に着手、一気に成長しました。ちなみにポーターの発案者のハーウッドは生みの親として賞賛されましたが、事業的には大きな成功はしなかったようで、当時の醸造業界の有力者、富豪のリストに彼の名前はないそうです。いずれにせよ、このポーターの登場が、ビールの製造が「手造り」から「産業」へと変貌を遂げるきっかけとなったのです。
ロンドンでのポーターの人気をうけて、その他の地域の業者もこぞってポーターの醸造に着手します。しかしロンドンの水だけがポータータイプの醸造に適していたため、なかなか成功はしませんでした。そのためロンドンで作られたポーターは特に「ロンドン・ポーター」と呼ばれ、各地に出回りました。
ロンドン・ポーターはアイルランドにも広まります。当時地元アイルランドのポーターはロンドン・ポーターに押されていましたが、そんな中で躍進したのが、1759年にダブリンで創業したギネス社です。ギネス社はポーターを徹底的に研究し、19世紀にはポーター専業を宣言。品質でもロンドンポーターに勝る技術力を持つまでになったことで、「強い」という意味を持つ「スタウト」をつけた「スタウト・ポーター」として売り出します。この「スタウト・ポーター」はロンドンにも流出、大人気となります。ギネス社はこれにさらに手を加えて、独自の「スタウト」を売り出します。ギネス社が生み出した「スタウト」の製法は一つの「お手本」として確立、アメリカをはじめイギリス以外の各国でも、醸造所ごとに必ず一つは「スタウト」タイプのビールがラインナップされるほどになったのです。
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