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「ウイスキーの父」と広島
ニッカの創業者・竹鶴政孝の志はここで生まれた イメージ
竹原市の町並み

竹原市の町並み保存地区に現存する「竹鶴酒造」。佇まいは竹鶴の育った当時をしのばせる。

竹鶴家集合写真

竹鶴家集合写真(前列中央政孝5才)1899年

竹鶴 壽夫氏 現在竹鶴酒造の社長を務める、竹鶴壽夫氏。
竹鶴酒造イメージ
竹鶴酒造
酒の資料館・小笹屋では、清酒の販売のほか試飲もできます。
アクセス JR竹原駅→徒歩15分
駐車場 なし
所在地 広島県竹原市本町3-10-29
問い合わせ先 0846-22-2021

「日本のウイスキーの父」その故郷・竹原

ウイスキーづくりにその生涯を捧げ、「日本のウイスキーの父」とも呼ばれるニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝は、広島で生まれ育ちました。ウイスキーづくりへの情熱と信念を貫いた竹鶴政孝という人間を育てた、当時の広島の気風とはどのようなものだったのでしょうか。

なぜ彼のような人物が竹原から輩出したのか

竹鶴政孝のような人物が輩出された背景として「広島の造り酒屋に生まれ育った環境と、その時代の広島酒の構造を抜きには考えられない」と政孝のいとこのご子息にあたり、現在竹鶴酒造の社長を務める竹鶴壽夫氏は語ります。

竹鶴政孝は1894年、広島県竹原市にある竹鶴家の本家「小笹屋・竹鶴酒造」の産室で生を受けました。政孝の家は祖母の代に分家し製塩業を営んでいましたが、本家の主人夫妻が長男誕生直後に相次いで亡くなったため、政孝の父親敬次郎が後見として本家に入って酒造業を継いでいたのです。

そのため政孝は分家ながらも三男として竹鶴の本家で生まれ、酒造業という環境のなかで少年時代を過ごしました。

広島・酒造業界の熱気を受けて

壽夫氏によれば、ちょうど政孝が生まれた頃、広島の酒造業界では「吟醸酒の父」といわれる三浦仙三郎をリーダーに、当時抜群のブランドを持っていた灘酒に負けぬ酒をつくろうと、蔵元たちが酒づくりの改良に意欲的に取り組んでいたといいます。

政孝の父、敬次郎もその仙三郎グループの主要メンバーでした。やがて仙三郎は「百試千改」の言葉に象徴されるような工夫を積み重ね、麹をゆっくりと低温で発酵させる「吟醸づくり」の技術を確立。酒には不向きとされていた広島の軟水から、灘酒に負けない高品質の酒をつくることに成功しました。

全国で認められた広島の酒

その成果は1907年、全国の酒を一堂に集め、その品質だけを純粋に競う「第1回清酒品評会」で顕著となります。そのなかで優等1位、2位を独占したのが広島酒。広島酒の受賞率は74.0%、これは灘、伊丹の名醸地をもつ兵庫県の57.6%を大きく上回るものだったのです。

このとき政孝13歳。父親を回想した文章のなかで「父の酒づくりの態度はきびしかった。神聖な気持ちとからだで、酒づくりにぶつかっていった」「酒づくりのきびしさは、いつのまにか父を通して、私の血や肉になっていたようである」と振り返っているように、その影響を語っています。

のちに「品質のニッカ」といわれ、「良い物は必ず売れる」という信念を貫いた政孝の品質主義は、こうして広島の環境と、その中で生きた父を通じてはぐくまれたといえるでしょう。

(記事は3/26付 中国新聞をもとに加筆したものです。)

ニッカウヰスキー、竹鶴政孝について詳しくはこちら
ニッカウヰスキーのサイトへ

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