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長岡人外山脩造の功績 

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長岡人の熱い思いと志が、
アサヒビールに受け継がれています。
長岡人 外山脩造の功績
凛として、夢への志を持ち続ける長岡人の生き方が、アサヒビールの美味さを醸し出しました。

明治維新、それは近代日本が産声をあげた時代。
越後・長岡に、先を見据えた開明思想の一筋の流れがあった。
「近代化によって国家国民を守り、豊かにする」
この理想は一度は打ち砕かれるものの一人の男に受け継がれ、
やがて大きな潮流となって時代を動かしていった。

幕末から明治にかけての激動の時代。
郷土長岡の「士魂」が、外山脩造の原点。

鳥羽、伏見の戦いから始まった戊辰戦争の中でも、北越戦争は壮絶を極めた。当初、長岡軍は官軍に対し優勢であったが、奇襲により長岡城は陥落。長岡軍は一度は奪還に成功するが、官軍の猛攻にさらされ、ついに敗走した。長岡から会津に至る八十里峠を、長岡藩軍事総督の河井継之助は担架に乗って越えた。継之助の本来の理想は、長岡藩の局外中立。近代兵器で武装し、中立を守るスイスをモデルにしていたとも言われている。

中立の嘆願書が官軍に拒否されたことで、この理想はついえたが、継之助には来るべき次の時代が見えていた。ずっと付き従っていた一人の青年、外山脩造に継之助はこう言った。「おみしゃんを武士にしてやろうと思ったが、もうやめた。これからは商人の時代。おみしゃんは、商人になりやい」

  • 外山脩造
    外山脩造

「世のため、人のために」その姿勢が、
やがて経済界を大きく動かしていった。

外山脩造は、小貫村(長岡市小貫)の庄屋の長男として生まれた。幼い頃から聡明で、十代半ばを過ぎた頃に河井継之助を知ると、人生の師と仰いだ。

江戸はもとより西国各地を遊学し、西洋の近代国家についても詳しかった継之助の博識や、藩の財政を立て直した手腕に心酔していたものと思われる。死の床に伏した継之助からの言葉、「商人になりやい」は、脩造にとっては単なるアドバイスではなかったはずだ。「藩という枠組みが壊れ、どうなるのか」「士農工商という身分が壊れ、どうなるのか」など、あらゆる価値転換の中をどう生きるのか、何を成すのかしっかり考えよ、ということではなかったか。

外山脩造は維新後、新政府の大蔵省に勤める。大阪の銀行の立て直しに着手し、事業家として走り出す。その胸には「西洋に負けない強い経済の確立」そして「豊かさを多くの人へ」という熱い思いがあった。

  • 大蔵省辞令
    大蔵省辞令
  • 明治期の大阪麦酒会社 吹田工場
    明治期の大阪麦酒会社
    吹田工場
  • アサヒビール発売記念写真
    アサヒビール発売記念写真

「輸入ビールに負けない純国産ビールを!」
夢を持ち続け、日本近代ビールの夜明けへ。

日本銀行大阪支店長に抜擢された脩造は欧米を視察し、帰国後、電気鉄道、ガス、造船など、数々の事業を設立した。次に脩造が着目したのがビールであった。酒造家の鳥井駒吉らと共に大阪麦酒会社を設立し、純国産ビールづくりに挑戦するものの、ビール醸造の知識が足りず、開発は困難を極めた。そんなとき、佐渡新町出身の科学者、生田秀と出会う。ドイツに渡った生田はわずか9ヶ月で醸造技術を習得し、帰国後の技術面の指揮をとった。脩造らがビールづくりに選んだ地は、大阪の吹田。豊富で良質な湧き水と、水路と陸路が交わる交通の便の良さからだった。脩造らはそこに、先端醸造技術と最新鋭の設備を導入した。明治24年12月、稼働を開始。そして翌年5月、アサヒビール誕生。その売れ行きは、半年後には出荷が追いつかなくなるほどであった。

「西洋に負けない日本を」「最高のもの、満足のいくものを追求し、妥協はしない」河井継之助から外山脩造へと受け継がれた志は、今もアサヒビールに息づいている。

日本近代ビール産業の先駆者
外山脩造
大阪麦酒会社(現アサヒビール)創立委員、元日本銀行大阪支店長

【天保13年(1842)】
越後国小貫村(長岡市小貫)の庄屋の長男として生まれる。幼名は寅太。
【安政6年頃(1859)】
後の長岡藩家老、河井継之助と出会い、人生の師と仰ぐ。
【慶応4年(1868)】
戊辰戦争勃発。会津へ逃れる途中、河井継之助没す。臨終の床に脩造を呼び、「おみしゃんは商人へなりやい」と遺言。
【明治6年(1873)】
大蔵省に出仕。
【明治12年(1879)】
第三十二国立銀行の経営立て直しに着手。三年で立て直す。
【明治15年(1882)】
手腕が認められ、初代日本銀行大阪支店長に任命される。
【明治20年頃(1887)】
欧米を精力的に視察。帰国後、電気鉄道、ガス、造船、銀行など数々の事業を設立。
【明治20年(1887)】
大阪の酒造業鳥井駒吉らと共に純国産ビールづくりへ動き出す。
【明治22年(1889)】
有限責任大阪麦酒会社設立。
【明治24年(1891)】
吹田工場完成、稼働開始。
【明治25年(1892)】
アサヒビール発売。半年後には製造が追いつかないほどの人気に。
  • 越後国小貫村(長岡市小貫)
    越後国小貫村(長岡市小貫)
  • 小貫・羽黒神社内・外山脩造石碑
    小貫・羽黒神社内・外山脩造石碑
  • 発売当初のアサヒビールラベル
    発売当初のアサヒビールラベル

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